水責めとは何か——水と窒息の恐怖を利用した拷問の歴史

水責め(みずぜめ)は、歴史上広く用いられてきた拷問方法の一つとして知られています。
しかしその存在は、しばしば「原始的で野蛮な拷問」「単に水を使った残酷行為」として理解されがちです。

実際には、水責めは単純な暴力行為ではありませんでした。
それは、人間の生理反応と恐怖を精密に利用し、当時の司法制度や権力構造の中で制度的に正当化された拷問だったのです。

本記事では、水責めがどのような仕組みで成立し、どの地域で、どのような価値観のもとで用いられてきたのかを、史料に基づいて整理していきます。


目次

水責めの基本構造

「溺れる感覚」を作り出す拷問

水責めの構造は、一見すると驚くほど単純です。
しかしその単純さこそが、この拷問の本質でもありました。

史料に見られる水責めの基本的な要素は、以下の通りです。

  • 被拷問者の身体を拘束するための縄や台
  • 口や鼻を覆う布、あるいは固定具
  • 継続的に水を供給できる環境

被拷問者は拘束され、逃げることのできない姿勢に置かれます。
その状態で水が口や鼻へと流し込まれることで、呼吸は断続的に遮断されていきます。

重要なのは、水責めが「実際に溺死させる」ことを目的としていない点です。
むしろ狙われていたのは、次の瞬間に呼吸できなくなるかもしれないという恐怖でした。

この「完全に制御された危機感」こそが、水責めの核心でした。


神明裁判における「水の試験」

なぜ浮くと有罪とされたのか

水責めと混同されがちなのが、中世ヨーロッパで行われた**神明裁判(オーディール)**です。
神明裁判とは、証拠や証言ではなく、神の判断によって真偽が示されると考えられていた裁判方法でした。

水を用いた神明裁判では、被疑者を水に沈め、その反応によって有罪・無罪が判断されました。
この判断基準は、現代の感覚とは大きく異なります。

当時の論理では、

  • 水は神によって清められた聖なる存在である
  • 無実の者は水に受け入れられ、沈む
  • 罪ある者は水に拒まれ、浮き上がる

と考えられていました。

つまり、浮くことは有罪の徴と解釈されたのです。

もっとも、この方法は極めて危険であり、
沈んだ被疑者がそのまま溺死する例も少なくありませんでした。
そのため神明裁判は、13世紀以降、教会法の整備とともに次第に廃止されていきます〔注1〕。


拷問としての水責め

なぜ「損傷を残さない」ことが重視されたのか

神明裁判が衰退する一方で、水を用いた拷問は別の形で存続していきます。
それが、司法手続の中で用いられる水責めでした。

中世後期から近世にかけて、ヨーロッパの司法制度では次のような原則が共有されていきます。

  • 拷問は自白を得るための補助手段である
  • 拷問中に被疑者を死なせてはならない
  • 自白後には正式な裁判と刑罰が行われる

この制度的前提のもとでは、拷問には特定の条件が求められました。

  • 苦痛の強度を調整できること
  • 繰り返し使用できること
  • 外見上の損傷が最小限であること

水責めは、これらの条件を満たしていました。

拷問台が骨格や筋肉に不可逆的な損傷を与える装置であったのに対し、
水責めは恐怖と生理反応を利用する拷問でした。
両者は目的も使われる場面も異なっていたのです。


近代以降に引き継がれた水責め

「尋問技術」への転用

近代に入ると、ヨーロッパ諸国では司法拷問そのものが制度上廃止されていきます。
しかし、水責めという手法が完全に消えたわけではありませんでした。

19世紀以降、水責めは戦争や植民地支配、治安維持の現場で、
**「痕跡を残しにくい尋問手段」**として再び用いられるようになります。

布で顔を覆い、その上から水を注ぐ方法は、

  • 外傷がほとんど残らない
  • 短時間で強い反応を引き出せる
  • 拷問の事実を否定しやすい

といった理由から選ばれました。

しかし後年の研究により、
水責めは深刻な精神的後遺症や身体的障害を残す行為であることが明らかにされています〔注2〕。


日本における水責め

江戸時代の拷問体系の中で

水責めは、日本でも用いられていました。
特に江戸時代の司法拷問において、水を利用した拷問は体系的に位置づけられています。

江戸幕府の拷問制度は、段階的構造を持っていました。

  • 比較的軽度の拷問
  • 中程度の拷問
  • 重度の拷問

水責めは、このうち中〜重度に位置づけられる拷問として用いられました。
被疑者を拘束し、水を口や鼻に注ぎ続けることで、
自白を引き出すための手段とされたのです。

ここでも重視されていたのは、
「殺さずに自白させる」という制度的要請でした。

水責めは、日本においても、
司法の名のもとで正当化された拷問だったのです〔注3〕。


水責めが象徴するもの

制御された恐怖

水責めの恐ろしさは、その残虐さそのものよりも、
恐怖が管理され、制御されている点にあります。

断続的に遮断される呼吸
次に水が来るか分からない沈黙
完全に拘束された身体

そこでは、被拷問者は主体ではなく、
司法や権力のもとで操作される「対象」となります。

水責めは、
暴力が衝動ではなく、制度として運用されていた時代の思考を、
極めて端的に示す存在だと言えるでしょう。

水責めは単独で存在した拷問ではなく、
中世ヨーロッパにおける司法制度の中で、
自白を得るための手段として位置づけられていました。

こうした拷問の使用背景については、
中世ヨーロッパの拷問制度の記事で
制度全体の構造として整理しています。


▶中世ヨーロッパの拷問制度
https://torture.jp/medieval-torture-system/

参考文献・資料

〔注1〕
Edward Peters, Torture, University of Pennsylvania Press.

〔注2〕
Darius Rejali, Torture and Democracy, Princeton University Press.

〔注3〕
石井良助『江戸の刑罰』岩波新書.

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