俵責め

ご存知の通り、かつての日本ではキリシタンが棄教することを「転ぶ」と表現していました。

時代劇などで、キリシタンと疑われる人物が拷問されているとき、周りの役人が「転べ!転べ!」と叫んでいるのを見たことがあると思うのですが、それのことです。

この「転ぶ」という言葉がキリシタンの棄教を意味するようになった理由は、ある拷問が原因であるという説があります。

それが、今回紹介する俵責めです。

方法

俵に入れて、重ねる

俵責めとは、犠牲者を俵に入れて、積み重ねる拷問です。

本来は米などを入れる俵ですが、人間を入れれば簡単に拘束できる道具に早変わりします。

もちろん、拘束だけでは拷問になりません。なので、この拷問の本質は重ねることにあると言えるでしょう。

日本キリスト教歴史大事典』によると、牲者は30人から50人ずつ重ねられたようです。縦に何人重ねるのかについては記述がありませんが、なんせ一段が30から50人な訳ですから、結構な高さまで積み上げることが可能であったと考えられます。

人間の体重を約50kgであったとした場合、単純計算で2人乗せれば100kg、4人も乗せれば200kgの重さで圧迫されることになります。単純に比較することはできませんが、これは重さだけなら石抱きで使われる責め石4枚分の重量と同じですね。

ちなみに、俵責めは屋外で行われる拷問です。暑さや寒さは犠牲者を責める良い道具となったことでしょう。

身動きできず、何人もの人間の重さで圧迫されながら、しかも季節によっては暑さや寒さにも耐えなければならない。

こんな状態で「棄教すれば止めてやる」と言われたら、よほどの信仰心がなければ耐えられないでしょう。

ちなみに、この俵責めは大阪城の近くの馬場や、堺市の七道の辺りで行われたそうです。もしかしたら、現地に行けば何か新しい発見があるかもしれません。

あまり厳しくない拷問

さて、このサイトで他の拷問の記事を見ている人ならば、この拷問に対してこんな感想を持ったかもしれません。

俵責めって、大したことなさそうだな」と。

もちろんこれは拷問ですから、並の人間ならば耐えられないほどの苦痛を与えるものであることは間違いありません。しかし、それは拷問ならば当然持つべき性質です。

キリシタンに使われた他の拷問、例えば穴吊り木馬責め雲仙地獄責めのようなものと比べれば、肉体への直接的な苦痛という点において俵責めは明らかに劣ります。

実際、俵責めは時代が下るにつれて利用されなくなり、代わりに上で述べたようなより苦痛の大きな拷問が使われるようになります。これは、強い信仰を持つキリシタンに対し、俵責めが無力であったことの証明だと言えるでしょう

歴史

キリシタンのための最初の拷問(かもしれない)

キリシタンに使われた拷問は数多く存在しますが、その中で最初に発明された拷問がこの俵責めである……かもしれないという説があります。

もちろん、日本にはキリシタンが出現する以前から拷問が存在します。箒尻を用いた笞打ちなどはその一例ですね。

なので、最初期のキリシタンに対し、そのような伝統的(?)な拷問が使われたのはまず間違い無いでしょう。

しかし、キリシタンを対象として拷問を行う場合、伝統的な拷問には欠点がありました。それは、大人数を同時に拷問するという状況を想定していないということです。

例えば、笞打ちをしようと思ったら、囚人1人に対して「実際に笞で叩く人間1人」「囚人を前後から縄で抑える人間2人」の3人が必要となります。

仮に抑える役の人間を使わなかったとしても、笞で叩く人間は必ず必要です。囚人1人を拷問するのに、最低でも1人は必要だということになります。

この方法では、大勢のキリシタンを拷問するために多くの人員が必要であるということがわかると思います。しかしキリシタンはその性質上、一度に多くの容疑者が見つかる(作られる)ものです。

そこで、大勢を同時に拷問できる方法が必要となりました。

俵責めはその性質上、犠牲者が大人数でなければ拷問として成立しません。また、拷問される犠牲者の数に対して、拷問を行う役人の数が少なくてすむという利点があります。

このような「大勢を拷問することを想定した」性質を持つという点から、俵責めはキリシタンを拷問するために発明された拷問なのではないかと考えられるわけです。

俵責めを使われた人物

俵責めを使われた人物と言えば、ベアタス会が有名でしょう。人ではなく修道会ですが。

ベアタス会は内藤ジュリアという女性によって作られた、日本で最初の女子修道会です。

当然、キリスト教を排除しようとする側からすればこんなものは目障りこの上ないわけで、所属していた修道女たちは棄教を迫られ俵責めを受けることになりました。

この俵責めは冬の寒い季節に、京都の鴨川付近の河原で行われ、その際犠牲になった修道女の数は15人であった……と、言われています。

言われているのですが、どうもこの辺りは正確な情報が見つかりません

私の手元にある『日本で実際に行われていた拷問や処刑』という本には、ベアタス会に対して行われた俵責めでは創設者である内藤ジュリア本人も拷問を受けたと書かれています。また、拷問が行われた場所は二条の河原であったとされています。

しかしネットで調べると、拷問を受けたのはベアタス会の修道女のみで、場所も五条の辺りであったという情報が複数見つかります。

正直、どちらも情報源としてはあまり信用できません。当時の記録でも見つかれば間違い無いのですが、私の調べた範囲では見つかりませんでした。要調査です。