日本で行われた拷問といえば、どんなものを想像するでしょうか?
笞打ち、石抱き、海老責、釣責、三角木馬、などなど。蛇責めや穴吊りなんてのを想像した人は相当の拷問マニアでしょうね。
そんな多数ある日本の拷問の中で最恐と名高いのが、今回紹介する駿河問いです。
有名な拷問ですから、名前を知っている人も多いかも知れませんね。
拷問というものは1つの例外もなく恐ろしいものばかりですが、その中でも特に、駿河問いは日本の拷問の中で最も恐ろしいと語られることが多いようです。
では、この駿河問いはどのような拷問で、なぜ最恐だと言われているのでしょうか?
駿河で生まれた最恐の拷問
駿河問いを考案したのは、江戸時代初期の駿府町奉行である彦坂光正という人物でした。
町奉行とは、担当する地域の行政や司法を担う役職のことです。
その職務の中には、凶悪な犯罪を犯した罪人に対して罪を認めさせる、つまり自白させるというものがありました。
どうやって自白させるか? ここで、拷問が出てきます。
彦坂光正も拷問を行っていたわけですが、相手も簡単には自白しません。
そこで、効率よく罪人を拷問し、自白を得る手段として駿河問いを発明したわけです。
駿府とは駿河国の町の1つですから、駿河国で考案された拷問なので駿河問いと呼ぶわけですね。
駿河問いは、キリシタン迫害に拍車をかけたと言われる大岡平八事件の大岡平八や、当時は重罪であった不義密通を行った曽根甚六の妻おしゅん。
そして駿河問いが有名になる原因となった、天下の傾奇者大鳥逸平から自白を引き出すという成果を上げています。
数々の成果が物語るように、駿河問いは優秀な拷問でした。
しかし、あまりにも優秀すぎたのでしょう。
1742年に作成された公事御定書という、現代で言うところの法律のようなものがあるのですが、この中で駿河問いは公認の拷問として認められませんでした。
もっとも、この公事御定書が効力を持つ地域は限られていたので、それ以外の地域では使われ続けていたようですが……
余談ですが、彦坂光正という人物は拷問の世界だけではなく、日本史的にも重要な人物です。興味があるなら調べてみると良いでしょう。
縛って、吊って、回す
この拷問では、まず犠牲者の両手足首をそれぞれ縄で縛り、後ろ側で1つにまとめることから始まります。
この状態で縛った縄を吊るすと、犠牲者は自分の体重で引っ張られて海老反りの状態を強制されることになります。
背中と腰を強制的に反らされ、肩関節と股関節を後ろに引っ張られ、手足を縛る縄が自身の体重によって食い込む。
既にかなりの苦痛ですが、さらに苦痛を大きくする為、背中に重りとして石を乗せられました。
当然、石の重さのぶんだけ背中、腰、関節、両手足首の苦痛は増加したでしょう。
こんな状態で長時間放置されれば、それだけでも十分すぎるほどの拷問ですが、しかし駿河問いの真の恐ろしさはここからです。
というより、実は拷問はまだ始まってすらいません。
ここまでは単なる準備で、ここからが本当の駿河問いの始まります。
回すという拷問
駿河問いとはどんな拷問か? その答えは、縛り上げた犠牲者を回す拷問だと言えるでしょう。
吊り下げられた犠牲者を何度も同じ方向に回し、縄を捻ってから独楽のように勢いよく振り回します。
すると、縄の捻りがほぐれる間ずっと犠牲者は回り続け、さらに反動で逆方向にも回ることになります。
こうして、犠牲者は何度も回転させられることになりました。
これが、駿河問いという拷問の方法です。
もしかしたら、あなたは拍子抜けしているかもしれません。
駿河問いは日本で最恐の拷問だなんて言っておきながら、その中身は単に犠牲者を回すだけなんてちっとも恐ろしくない、と。
しかし、その考えは誤りです。
なぜなら、回されることは犠牲者に多大な苦痛をもたらしたはずだからです。
回転の力
簡単な実験をしてみましょう。
まず、両腕を真っ直ぐ横に伸ばしてみてください。指先までピンと張って、ちょうど体が十字の形になるようにします。
その状態で、思いっきり回ってみてください。時計回りでも、反時計回りでもどちらでも構いません。
すると、指先に血が集まるのが分かるでしょう。
長時間行えば、痛みも感じることができます。
これは、遠心力により指先に血液が集まり、血管が膨らんで神経を圧迫するから起こる痛みです。
駿河問いでは犠牲者を回すわけですから、これと同じ現象が起こります。
ただし、駿河問いを行われる犠牲者の体は海老反りの状態でしたよね。
なのでこの場合、血液が集まる体の端とは頭と膝になります。
膝はともかく、頭の血管に血液が集まるというのは、とてつもなく苦しそうだと想像できますよね。
実際これは大変な苦痛となったらしく、犠牲者の顔が真っ赤になり、めまいをおこし、脂汗を流し、口や鼻から出血を起こしたと言われています。
さらに、叩く
駿河問いは、それ単体でも
- 縛られ締め付けられる両手足首
- 本来なら曲がらない方向にねじ曲げられた肩関節と腰
- 遠心力で集まった血液により引き起こされる頭痛
- 回されることにより生じる目眩
など、複数の苦痛を同時に与えることができる極めて効率の良い拷問です。
しかし、だからと言って自白を求める人間が、それに満足してこれ以上は何もしないなんてことは当然ありません。
駿河問いと同時に行われる拷問として、箒尻と呼ばれる笞を使った笞打ちがありました。
箒尻は、これ単体でも拷問(正確には牢問)として利用される厳しい責めです。
ただでさえ様々な苦痛が同時に襲ってくる駿河問いの最中だというのに、笞による責めまで追加されては心も折れるというものでしょう。
無期限の拷問
こんな拷問を何時間も行えば、当然犠牲者の体が持つはずがありません。しかし、拷問を行う人間が犠牲者を簡単に死なせるわけもありません。
犠牲者が気絶すると水をかけ、あらかじめ待機していた医者が気付け薬を飲ませ、牢に戻されます。
そして、回復したら再び拷問が再開されるわけです。
当時の日本の拷問に回数制限などありませんし、中世ヨーロッパの異端審問のように1度使った拷問は再び使えないなどという制約もありません。
つまり、自白が取れるまで何度でも拷問は繰り返されます。
犠牲者にとっては、文字通りの地獄だったことでしょう。
苦痛の多さが最恐の由縁
西洋の拷問でも、効率よく自白を得るため、複数の拷問を組み合わせて使うということは普通に行われていました。拷問される場所が増えれば、それだけ苦痛も増えますからね。
しかし、私の知る限りでは、駿河問いほど複数の異なる苦痛を同時に与える拷問というのは見たことがありません。
私は、この複数の責めを同時に実現するというところに駿河問いの最恐たる由縁があるのではないかと思います。