プレスヤード

15世紀のイングランドでは、大抵の監獄にプレスヤード(pressyard)と呼ばれる部屋が存在しました。これは部屋の名前であると同時に、拷問の名称でもあります。

イングランドは拷問を禁止していたんじゃないのかと言いたくなりますが、当時はこれを拷問として認識されていませんでした。積極的に拷問をするわけではなく、じわじわと苦痛を与えることによって自白を促す、消極的拷問だからです。現代の感覚からするとどう見ても拷問ですが、とにかくそういうことになっていました。

圧迫という苦痛

この拷問は、地下の暗く狭い部屋で行われました。

犠牲者はまず、仰向きに寝かされます。そして四肢をそれぞれ縛られ、動けないように固定されます。次に、体の上に板を載せ、その上に重りを載せます。この重りは1つ50ポンド(約23kg)で、載せる個数によって容易に苦痛を調節できるようになっていました。この重りの数を調整して任意の重量で犠牲者を圧迫するというのが、基本的なプレスヤードの形です。

他にも、滑車で動かすことの出来る舟型の台に重りを載せ、これを犠牲者の上に載せるタイプのプレスヤードも存在します。どちらのタイプでも、犠牲者は圧迫による呼吸困難や、循環系の不全という苦痛を与えられることになったでしょう。

また、より苦痛を増大させるため、犠牲者が耐えられないほどの重量の重りを載せる、背中に三角形の木材を置く、などの方法がとられることもありました。もちろん、これらの方法では犠牲者を死なせてしまうこともあります。

死という救済

言うまでもないことですが、拷問の目的は犠牲者を死なせることではありません。自白させることです。しかし逆に、拷問にかけられる犠牲者たちは一刻も早い死を望んだかもしれません。

というのも、中世のイングランドにおいて、死罪になった罪人は財産を国に徴収されることになっていたからです。しかし、自白をせず拷問中に死んだ場合、その財産は家族に渡されます。自白をすれば自分は処刑され、家族は財産を没収されて苦しむことになる。ならば、自白をする前に拷問によって死んでしまうほうがマシだと考えるのは、自然なことだったでしょう。

このことについては、1668年からロンドンで教鞭を執っていたフランス人ガイ・ミエージュ(Guy Miege)の記述からも読み取れます。彼は自身の著書の中で、

  • 自白をしない罪人はプレスヤードによる拷問を受ける
  • 拷問の間、罪人は大麦のパンが3つの食事と、水だけの食事を1日おきに繰り返される
  • 遺産を家族に残すために、自ら死を選ぶ罪人がいる

といったことを書いています。

この中の、食事が1日おきというのは、パンを食べられる日は水を飲めず、水を飲める日はパンを食べられないということです。ちなみに、この大麦のパンというのは非常に乾燥したもので、水を飲まずに食べると喉に詰まりやすかったそうです。

地味ですが、こんな食事が長期間続けば栄養不足になりますし、なにより精神的にも苦痛だったことでしょう。

プレスヤードの犠牲者たち

この拷問にかけられた犠牲者は数多く存在しますが、その中でも特に有名なのはキリスト教の殉教者、聖マーガレットでしょう。1586年、彼女はとある司祭の逃亡を手助けしたとして逮捕され、拷問を受けました。彼女が有名なのは、このプレスヤードという拷問で最も重い重量の重りを載せられたからです。その重量なんと700ポンド。これは約320kgとなり、私が調べた限りではこれ以上の重さの重りを載せられた記録は見つかりませんでした。結果、彼女は15分で死亡しましたが、当然の結果だと思います。

プレスヤードの犠牲になった人物としては、ジャイルズが最も有名かもしれません。彼はイギリスではなく、アメリカでこの拷問を受けました。1692年のアメリカ、セーラム地方。最後の魔女裁判として有名なセーラムの魔女裁判が行われたこの場所で、彼は唯一拷問により死亡した人物です。彼は最期のとき、この拷問にかけられながら「もっと重りを!」と叫んで絶命したと言われています。(もっとも、この発言自体は後の世の創作ではないかとも言われていますが)

廃止された拷問

プレスヤードは恐ろしい拷問ですが、現在はこの拷問を受けることはありません。1772年に廃止されたからです。

……ただし、真偽は不明ですが、1741年にこのプレスヤードが使われたという話があります。単なる嘘や勘違いであると祈るばかりです。