『奇書の世界史』で魔女に与える鉄槌が解説されたと聞いて読んだ。1つ気になることがあった

拷問の登場する作品集

拷問について調べようと思ったら、魔女狩りのことは決して避けては通れません。
魔女であると自白させるために、拷問は盛んに使われましたからね。

そして、そんな魔女狩りを語る上で絶対に外せない文献の1つが『魔女に与える鉄槌』です。

そんな魔女に与える鉄槌について解説した本が出版されたそうです。
これは読むしかないですね。

『奇書の世界史』の、魔女に与える鉄槌のレビューについて

著者はゆっくり解説のAlt + F4氏こと三崎律日氏

この本の著者である三崎氏は、ニコニコ動画やYouTubeで解説動画を投稿している動画投稿者です。

動画内容を見ると、歴史上の怪人物の紹介や、山月記の解説……というより解釈動画? などを投稿していることがわかります。

この本もそうですが、歴史に対して興味があり、調べている人なのでしょう。

しかも、ちょっと奇妙な方向に。

拷問を調べている人間としては、親近感が湧きます。

テーマは価値観の変遷

タイトルの通り、この本で扱われているのはいわゆる奇書と呼ばれる書籍です。

さらに言えば、「かつては良書として扱われていたにも関わらず、何らかの理由で評価が変わったもの」を奇書として紹介しています。

これは、その奇書を知ることで、かつての価値観が現在に至るまでに変化したということを知り、そしてその変遷を辿ることをテーマにしているからなのだそう。

実際、魔女に与える鉄槌はこの定義に非常によく当てはまる書籍だと思います。魔女狩りの現場で大変重宝された書籍ですからね。

これは想像ですが、この『奇書の世界史』が紹介する1冊目に魔女に与える鉄槌を選んだのは、価値観の変遷が非常にわかりやすい書籍だったからではないだろうかと思います。

自分の価値観は絶対ではないというメッセージを感じた

この本の最初に、このような言葉があります。

過去の価値観といまの価値観との違いが分かれば 、将来の価値観も見えてくるはずです 。本書ではそのような 「価値観の差分 」を探ることに挑戦しています 。そして奇書が教えてくれる 「価値観の差分 」を使えば 、未来の私たちを占うこともできるでしょう 。

拷問を調べているとよく分かることですが、現代人の我々にとっては異常でしかないことが、当時の人間にとっては常識であるということはしばしば有ります。

そもそも、同じ現代でも国が違えば価値観なんて大きく変わるものですからね。違う時代ならばなおさらです。

これは言い換えれば、現代も我々が常識だと思っていることは、未来の人間にとっては信じられない非常識であると思われる可能性を意味します。

かつて魔女を見つけるために拷問することが常識だと考えられていたように、現在の我々は異常なことを常識であると信じていないだろうか。

そんな客観的な視点を持つことが重要性であると、この本は伝えようとしてる。そんな気がしてなりません。

1ヶ所だけ、気になるところがあった

『奇書の世界史』は面白い本ですし、普通に読む分には楽しめると思います。

ですが、拷問を調べている人間としては1ヶ所、見過ごせない記述がありました。それがこれです。

女はその迷信、欲情、欺瞞、軽薄さにおいてはるかに男をしのいでおり、体力の無さを悪魔と結託することで補い、復讐を遂げる。妖術に頼り、執念深いみだらな欲情を満足させようとするのだ。

「ユリイカ」(1994年2月号、青土社)より引用

『奇書の世界史』ではこの引用に続けて、著者のクラーメルの女性に対する不信感は並々ならぬものがあったとしています。

これだけ見れば、確かにそう思うのも無理からぬことでしょう。

しかし、この文章には続きがあります。

クラーメルのというよりは、キリスト教の女性に対する不信感

上の引用は雑誌「ユリイカ」の中の田中雅志氏により書かれた「魔女のイコノグラフィー」という記事内に登場するものです。

この記事のテーマはヨーロッパにおける魔女像の800年であり、その魔女像は「魔女に与える鉄槌」から強い影響を受けていると説明し、この引用が登場します。

そして引用の後には、

悪魔学におけるこのような女性観のもとを辿れば、キリスト教のうちに見いだされる女性嫌悪(ミソジニー)に行き当たるであろう。

「ユリイカ」(1994年2月号、青土社)

と続きます。

つまり、上の引用はクラーメルが妄想で言っているのではなく、当時のキリスト教の価値観に照らし合わせて導き出した結論であるということです。

実際、魔女に与える鉄槌の該当箇所を読むと、クラーメルは女が魔女になることについて様々な文献を引用して証明しようとしています。

そしてこの書籍が出版されてから約100年を経て、彼の提案した魔女像はキリスト教の価値観に受け入れられることになりました。魔女狩りという形で。

現代の魔女狩りを見たような気がします

この本のレビュー記事や動画では、上記の引用を指してクラーメルのことを女性に対するコンプレックスの強い人物であると決めつけるような意見が多々見られました。

この件に関してはクラーメルは濡れ衣であるにも関わらず、です。

これは面白い現象だと思います。

かつての魔女狩りでは、1冊の本の記述をもとに無実の人間を魔女として処刑していました。

そして現在、1冊の本の記述をもとにクラーメルという人間が不当に貶められています。

これはまるで魔女狩りの再現ではないかと、私にはそう見えます。

人間の価値観とは、そう簡単には変わらないものなのかもしれません。