アイアンメイデン

拷問具についてよく知らないけど、アイアンメイデンの名前は知っている。そんな人は多いんじゃないでしょうか?

実際、アイアンメイデンは拷問具の中での知名度がトップクラスだと思います。

有名なだけあって、その形状や使い方についてもよく知られているようです。様々な書籍やサイトで解説されていますからね。

しかし、そんなアイアンメイデンですが、実は創作上の拷問具で実在しないんじゃないかという話があります。実際、ドイツのニュルンベルグにはアイアンメイデンが展示されている有名な博物館がありますが、これは後世に作られたレプリカです。

では、アイアンメイデンとは後世に作られた創作であり、過去には存在しなかったのかというと、そういうわけでもありません。私が思うに、アイアンメイデンが実在したか否かを考えるためには、ある2つの拷問具について知ることが重要だと思います。今回はそんな話をしましょう。

アイアンメイデンとは?

そもそも、アイアンメイデンとはどんな拷問具なのか? これについてはwikipediaの情報を引用すれば事足りるでしょう。

聖母マリアをかたどったともいわれる女性の形をした、高さ2メートルほどの大きさの、中が空洞の人形である。前面は左右に開くようになっており、中の空洞に人間を入れる。木製のものがほとんどである。木製のものは十分な強度を持たせるために肉厚な構造になっているが、鉄製のものは比較的薄いため、写真(上)でも判別できる。左右に開く扉からは、長い釘が内部に向かって突き出しており、本体の背後の部分にも釘が植えられているものもある。犠牲者の悲鳴は外に漏れないように工夫されていた。

用途についてはこのように説明されています。

罪人はこの鉄の処女の内部の空洞に入れられ、扉を閉じられる。同時に扉の部分にある多くの棘に全身を刺される。現存するものは釘の長さが様々で、生存空間はほとんどないようなものから、身体を動かせば刺し傷で済みそうなものまでがあった。罪人が死亡した後に、前の扉を開けることなく死体がそのまま下に落ちるように「落し扉構造」があったという噂を記述した文献がある。

一般的に、アイアンメイデンと言えばこれらの説明を連想すると思います。

この拷問具が創作であると言われている理由として、実物が現存していないこと存在したという記録や資料が存在しないことが挙げられます。現在残っているアイアンメイデンについて書かれた文章は19世紀ごろに書かれたもので、しかもそれらは創作であることが分かっています。

それではアイアンメイデンとは完全に後世の創作物で、このような拷問具は全く存在しなかった……のかと言えば、それは違います。

アイアンメイデンという拷問具のルーツを探ってみたところ、とある2つの拷問具を発見しました。

原典となったであろう2つの拷問具

2つの拷問具とは具体的に何か? それは、鉄の処女鉄の乙女です。鉄の処女はアイアンメイデンの別名じゃないかと思われそうですが、こちらは記録に存在する拷問具であり、別物です。紛らわしいので、この記事では現在に伝わっている創作上の拷問具をアイアンメイデン中世のスペインで実際に使用されていたものを鉄の処女と呼ぶことにします。

鉄の処女とは

鉄の処女は他にも鉄のマリアトレドの鉄の処女慈母の聖母などの呼び名もある拷問具です。この拷問具はスペインのトレド宗教裁判で使用されたと言われています。

この装置の形状は、ヒダの多い絹の服を着せられた処女マリアの木像でした。頭の部分には光輪があり、右手には旗を持っています。

この像の最大の特徴は全面に大量に設置された針やナイフ、そして機械じかけで可動する腕の仕掛けです。腕の仕掛けは、操作することで像の前に立っている人間を抱きかかえるように動きます。像の全面には釘やナイフが刺さっているわけですから、犠牲者はそれらに刺されて串刺しになるわけです。言うまでもないことですが、釘やナイフはその尖端を前に向けて設置されています。

この像についての詳細は「パーシ奇談」という資料にて描写されています。発見したのはフランス軍のラ・サル将軍で、この拷問具にナップサックを抱かせて見たところ、串刺しになったと報告しました。

この拷問具による拷問方法は、アイアンメイデンというよりアペガの像を連想させるものがあります。あちらは腕に釘などが刺されており、近づいた犠牲者に抱きついて串刺しにする拷問具です。たまに、アイアンメイデンの原典がアペガの像にあるという説明を見ますが、それはこの鉄の処女についての説明だと考えて良いでしょう。

鉄の乙女とは

日本語では鉄の処女とは一文字しか変わらないこの拷問具ですが、拷問具としての性質はかなり異なります。この拷問具が使用されたのは、現在アイアンメイデンのレプリカが展示されている場所であるニュルンベルグでした。そのため、ニュルンベルグの処女と呼ばれることもあります。この拷問具の描写についてはワイリ博士の「新教の歴史」の中で出てきます。

鉄の処女の形状は大きな木製の女人像です。より正確に言えば、像と言うよりレリーフを刻まれた円柱といったほうが良いでしょう。ここで注意してほしいのですが、女人像であってマリア像ではないということです。実際はマリア像であった可能性は否定できませんが、少なくともワイリ博士の資料からはそのような描写は見られませんでした。

全面には2枚の扉があり、そこから犠牲者を入れることができます。この拷問具の内部には複数の釘が設置されていました。その本数には文献によりバラツキがあるので正確なことは言えませんが、少なくともこの拷問具にかけられた犠牲者が串刺しになったことは確かなようです。

アイアンメイデンとは誤解から生まれた拷問具である

さて、上で挙げた2つの拷問具の説明を見てどう思ったでしょう? どちらもアイアンメイデンにかなり似ているのに、少しだけ違うと思いませんか? さらに言えば、2つの拷問具の説明を合わせればアイアンメイデンになるように思いませんか?

私が思うに、アイアンメイデンとはこれら2つの拷問具についての描写を混同してしまった結果生まれたものなのではないでしょうか。実際、鉄の乙女はドイツ語で「eiserne jungfrau」と書きますが、このjungfrauには乙女、処女の両方の意味があります。ここから、鉄の乙女=鉄の処女という誤解が生まれたのではないでしょうか。そして、同じく鉄の処女という名のスペインで使用されたマリア像の拷問具とも混同されて生まれたのがアイアンメイデンという拷問具だと考えると、過去に使われた記録や資料が存在しないことにも説明がつきます、実際に、アイアンメイデンという拷問具は存在しなかったわけですからね。

実際のところ、本当にアイアンメイデンが実在したのかどうかは当時の人にしか分かりません。しかし、今ある情報を集めたところ、私はこのような結論にたどり着きました。

最も有名な拷問具の1つであるアイアンメイデンが、複数の拷問具の情報が混ざることによって生まれた。拷問具に対してこんな感情を抱くのは変ですが、少しだけロマンを感じました。

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