今井町に燻し牢を見に行きました

本当はやってはいけない拷問マニュアル』によると、今井町の今西家には、かつて拷問に利用された設備が今尚現存しているらしい

拷問を調べている人間としては、これは行かねばなるまい。という訳で、実際に行ってきました。

燻し牢を見に行くことのみが目的だったのですが、今井町の保存された町並みも私好みで良かったです。

燻し牢を見に行こう

そもそも、燻し牢とは何だという人もいるでしょう。

なので、以前に解説した記事をこちらに用意しました。

要するに、過去に燻し責めと言う拷問があって、燻し牢とはそれを行っていた設備だということです。

もちろん、現在は既に使われなくなっています。

が、外観は保存されているとのことなので、見に行く価値はありますね。

奈良県の古風な町

本題に入る前に、そもそも今井町ってどこだ? という話もあると思います。私もそうでした。

今井町とは奈良県の橿原市の中にある町です。

この町には拷問以外にも、江戸時代の町並みを保存しているという特徴があります。

というより、こっちの方が有名なのでしょう。

実際、観光客らしき人達を何人も見ました。

赤い橋を渡ると街並みが変わりました。

町の東を流れる飛鳥川には赤い橋がかかっています。蘇武橋(そぶはし)というのだそう。

写真では絶望的に分かりにくいですが、奥の方に瓦屋根の建物が並んでいるのが見えます。

橋を渡った先には今井町の案内板がありました。

余談ですが、今回の目的地である今西家は名前の通り西の端にあります。

私はここまで車で行ったのですが、適当に見つけた駐車場に車を停めた結果、真逆の位置からのスタートとなりました。

普通に後悔しました。

今井町で過去の日本を感じる

百聞は一見にしかずとは良く言ったもので、私が文章で説明するよりも、画像を見た方が今井町のことがよく分かるでしょう。

見ての通りです。

見ての通りの街並みが、街の端から端までずっと続いています。

過去の資料などで見る日本の街並み、その中を自分で歩けるというのは非常に楽しい経験でした。

ちなみに、ここは実際に人が住んでいる場所でもあります。

この景色を維持しながら生活もしているというのですから、すごいことだと思います。

今西家レポート

事前に調べたときにも思ったことですが、この家は非常に長いです。横に。

流石は、かつて自治権を有していた家柄だけのことはありますね。

今西家そのものの歴史については公式のサイトがあるので、興味があるなら読んでみるのも良いでしょう。

ちなみに、これでも全盛期に比べるとかなり小さくなっているらしいです。

かつては、さぞ見る者を圧倒する姿であったことでしょう。

中には広い空間がありました

今西家に入ってまず感じたのは、広い空間だということでした。

外から見たときも確かに大きな屋敷だとは思ったが、内側はそれ以上に大きい。より正確に言えば、高いと感じました。

おそらく、二階や天井を突き抜けて屋根まで見えるこの家の構造が、感覚的なサイズを実際よりも大きく見せているのでしょう。

写真を見てわかる通り、この家の柱はそのほとんどが黒いです。一本だけあまり黒くない柱もありましたが、それは改修工事の際に加えられた柱なのだとか。

この色の変化は、かまどを使用した際に出る煙、その中の煤を浴びることで起こります。

この場所が長年に渡り煤を浴びるような場所であったということの、何よりの証拠ですね。

もっとも、これは燻し責めをおこなっていたからというよりは、当時の家の構造そのものが原因だそうです。

実際、このあと今西家以外の家の見学をしたのですが、そこでも天井は同じように黒かったですから。

屋内にある「お白洲」

かなりの広さである今西家ですが、ここは居住空間ではなくお白洲でした。

それも、全国的にも珍しい屋内にあるお白洲です。

そして、わざわざ屋内にお白洲を作った理由、それこそが燻し責めと、それを行うための燻し牢でした。

燻し牢は入口の真上

今回の旅の目的地は、入口の真上にありました。

この部屋を初めて見て最初に感じたのは、普通の部屋ではないだろうということです。

入口に続く道がなく、梯子を使わなければたどり着くことができない構造。

明らかに、日常生活での使用を想定していない作りです。

中に居る人間を逃がさない。そんな強い意思を感じますね。

もっとも、燻し責めを受ける犠牲者は縛られているので、梯子の有無に関係なく逃げられませんが。

ちなみに、今は倉庫として使っているらしいです。

普通の部屋として使うには不便すぎますから、当然といえば当然でしょう。

燻し牢の下は煙を出すための部屋

梯子の先は燻し牢ですが、その下にあるのは煙を出すための部屋です。

と言っても特殊な場所というわけではなく、要するにかまどが置かれていた場所です。

ここで焚かれた煙が上の燻し牢に入り、中にいる犠牲者を苦しめたわけですね。

また、このかまどの部屋が左側にある関係上、燻し牢の左側の部屋は右側の部屋に比べてより多くの煙を浴びることになります。

そして、左側は男性用、右側は女性用の燻し牢だったのだとか。

拷問の場において、女性に対して手心を加えていたというのは興味深いことだと思います。

ちなみに、今ではかまどは撤去され、物置として使われているそうです。

実際に使われる様子を見れないのは残念ですが、人が住む家なのだから仕方ないですね。

余談ですが、写真の左側にある扉の先はかつて牢屋だったそうです。

拷問で白状した囚人は、燻し牢から出てすぐに牢屋に入ることになります。効率的ですね。

もっとも、現在はこの牢屋は取り壊されているので、扉を開けた先は外ですが。

昼食を食べる

今井町に入ったのは12時ごろでしたが、今西家の見学が終わったときには14時前ごろになっていました。

正確には、今西家の後に豊中家という家も見学しました。

そちらは商人の家で、当時の道具や資料が展示されており面白かったです。

じゃあ何故そのことを書かないのかというと、写真を一枚も撮っていなかったからです。

なんで写真を撮っていないのか、自分でも謎です。

そんなこんなでいい時間となり、腹が減ったということで遅めの昼食を食べることにしました。

適当に歩いていたら目に入った「古伊」という店の見た目に惹かれ、ここで食べることに決定。

いかにも和風な店構えの通り、料理も和風なものばかりでした。

私はにしん蕎麦を食べました。

なぜ真夏の暑い時期に暑い蕎麦を注文したのかは、今となっては永遠の謎です。

店員も驚いたことでしょう。

この記事を書いているときに、店の公式サイトを見つけました。

おしながきを見て改めて思うのですが、当時の私はなぜ盛り蕎麦を注文しなかったのだろうか。謎です。

資料館で見つけた次の目的

目的の燻し牢を見学し、食事も食べた。

思い残すことはないのでもう帰ろう……と思ったのですがが、ふと最後に資料館に寄って行こうと思い立ちました。

今井町の歴史などについての展示がありましたが、拷問に関する展示は1つもなかったですね。

町全体の模型はなかなか見応えがありましたが、興味の惹かれる展示はありませんでした。

ただ、1つだけ目に付いたものがあります。

それがこの「全国の重要伝統的文化建造物群保存地区」の掲示板です。

これを見るに、今井町のように過去の街並みを再現し、保存している地域が全国にあるよう。

ならば、もしかしたら燻し牢のような拷問設備を残す場所もあるかもしれません。

流石に今井町レベルの保存状態を期待するのは酷かもしれませんが、次の旅の目的地とするには十分な動機になりますね。