日本のムチ打ち“箒尻”

江戸時代、幕府が1742年に制定した公事方御定書により仕様が公認された四つの拷問がありました。その中の一つが、今回紹介する箒尻を利用する笞打ちという拷問です。

「拷問」と言いましたが、箒尻は当時、牢問(または責問)と呼ばれて拷問とは区別されていました。

両者には、実行するのに許可が必要だとか、実施される場所が白洲と拷問蔵と異なっているなどの違いがあります。

しかし、やっていることはどちらも同じく拷問と呼ばれるべきものです。なので、ここでは牢問と拷問を区別せず、どちらも拷問として扱います。

箒尻とはどんなもの?

箒尻は、笞打ちの拷問で使われる拷問具の名前です。

その形状は、長さ一尺九寸(約72cm)、廻り三寸(約9cm)の竹を2つに割って紐で巻き、その上から紙こよりで巻き固め、握る部分を五寸(約15cm)ほど白革で巻いたものです。

皮膚を破ったりしないよう表面を磨いてささくれを取っていたとか。

ちなみに、紙こよりの巻き方には口伝があったそうです。詳細は不明ですが。

なぜ、「箒尻」と呼ぶのか?

現在ではあまり見かけなくなりましたが、一昔前、箒と言えばそれは竹箒のことを指しました。名前の通り、竹製の箒のことです。

箒尻という名前は、元々はこの竹箒の尻、つまり柄の部分を材料に使っていたことの名残だと言われています。

箒の他にも、折れた弓なども代用品として使われていたようです。流石はリサイクルの町、江戸ですね。

とはいえ、拷問具とはその性質上、激しく損傷する道具です。

流石にリサイクル品では簡単に壊れてしまい使い物にならないので、より頑丈に、そして便利に改良されて上記のような形になりました。

箒尻作成の専門家、穢多・非人

この箒尻を専門に作っていた人達がいました。その名を穢多弾左衛門(えただんざえもん)と言います。

これは特定の個人の名前ではなく世襲名です。現代風に言えば、役職名のことだと考えれば分かりやすいでしょう。

穢多弾左衛門とは、被差別民であった穢多・非人の頭領のことです。穢多頭(えたがしら)とも呼ばれていました。

彼らの作った箒尻が、毎年奉納されていました。

ただ、あまり品質が良くなかったらしく、すぐに壊れてしまうと打役の同心からの評判が悪かったようです。

なので、自作していた人が多かったとか……

見かけ通りでない拷問具

一見して、竹と紐と紙でできたこの箒尻は拷問具なのにあまり恐ろしくない印象を受けるかもしれません。

しかし、それは大きな誤りです。

確かに、重量もなく棘などの鋭い凶器が付いているわけでもない箒尻は、命を脅かすほどの威力は持ちません。

しかし、その軽さ故に箒尻は打ち役の同心の手に馴染んで叩きやすく、竹を使うことにより生まれるしなりの効いた打撃は皮膚に対して大きな苦痛となります。

むしろ、身体に重大な損傷を与えず、ただ皮膚に対してのみ大きな苦痛を与える箒尻は理想的な拷問具であると言えるでしょう。

拷問方法

箒尻は笞なので、その使用方法は他の鞭や笞と同様、叩くことです。

至ってシンプルですが、箒尻の場合、叩くまでの準備に特徴がありました。

まず、犠牲者の上半身をはだけさせ、腕を後ろに回して縛り、その縄を前後から固定役の同心が引っ張って動けなくします。

これは、打ち役の同心が叩きやすくするのと同時に、犠牲者が動いて拷問の邪魔にならないようにするための工夫です。

また、後ろに回されて縛った腕は肩の下辺りまで引き上げます。実際に手を後ろに回して肩のあたりまで持ち上げるとわかりますが、こうすることで背中に肉が寄って集まります。

そして、この肉が集まってる部分を箒尻で叩きます。

これは、叩くことで必要以上の苦痛、後遺症を残さないようにするための配慮でした。

また、奉行は叩いている間も自白を促します。拷問は痛めつけることではなく、自白させることが目的ですからね。

ピシピシと叩くと、皮膚に赤いミミズ腫れが何本もできます。痛みから逃れようにも、縄で縛られているので動くことはできません。

箒尻には棘などの凶器は付いていませんが、何十回も叩いていると皮膚が破れて出血することもあります。

あまりにも出血がひどいときは、砂をまぶして止血しました。応急処置にしかならなかったでしょうけどね。

1度の拷問で、囚人は150~160回ほど叩かれました。それでも自白しないようなら牢に戻されます。

体力が回復したら再び同じ拷問を繰り返すか、埒が明かないとなれば次の拷問に移行することになりました。

刑罰よりも厳しい拷問

ちなみに、この箒尻は拷問にしか使われなかったのかと言えばそうではなく、刑罰でも使われました。その際の刑罰の名称を敲刑(たたきけい)と呼びます。

これは比較的軽い罪に対して行われる刑罰で、50回叩く場合と100回叩く場合があります。

どちらの場合でも、拷問とは違い縄では縛らず、手足を押さえつけてから叩いていました。

拷問と比べると、少しだけ有情ですね。

考えてみれば、敲刑は軽犯罪者への罰で、笞打ちは自白したら死刑になるような凶悪犯への拷問ですから、対応が変わるのも当然と言えば当然ですが。

したたかな女囚

拷問を受ける囚人は、そのほとんどが男性でした。とは言え、その中には女性の囚人、つまり女囚も居なかったわけではありません。

そして、女囚は責めにくいという定説がありました。

例えば、女囚を拷問する場合、裾が乱れて太ももが露出すると一旦中断して裾を直させるという暗黙のルールがありました。

これを逆手に取り、拷問が始まると暴れてのけぞり足を広げてわざと太ももや恥部を露出する女囚が居たそうです。少しでも苦痛から逃れようとしているわけですね。

そんなときは、足を開けないように両膝を縛る縄を追加しました。

更にしたたかな者になると、わざと排泄して拷問を中断させる者や、叩かれると発作を起こして仮死状態になる者もたそうです。

これらの理由から、女囚は責めにくいという定説が生まれたわけです。

確かに、拷問する側としては何度も拷問を中断させられて厄介だったでしょうね。