海老責め

『御定書百箇条』で定められた4つの拷問のうち、3つ目に行われるのがこの海老責め(ebizeme)です。
先の2つである箒尻や石抱きと違い、これと4つ目の拷問である釣責は拷問蔵で行われました。
また、先の2つは牢問、後の2つは拷問と区別されています。先の3つが牢問で、釣責だけが拷問という区別をしていることもあります。

方法と効果

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この拷問の方法は『拷問刑罰史』に詳しく記されています。

もろ肌を脱がせ、両腕を後ろに廻させ、手首を後ろ手に縛り、両膝を十分にひらかせ、足首で交差させて足首を縛り、後ろ手を縛った青細引きの縄先二筋を両肩から前に廻して両すねを一めぐりさせて、力まかせに引き上げ締めつけ、縛った両足首と顎が密着するまで体が曲がるようにする。
縛られた両ひじは、両膝に密着するわけである。この体勢のまま放置する。

この方法を見てわかる通り、海老責めを受ける囚人は海老のように体を強制的に曲げさせられます。その様子が海老のように見えるということが、海老責めの名前の由来だと言われています。
また、同じ理由で箱責めと呼ばれることもあるそうですが、こちらの呼び方はあまり聞きませんね。

よほど体の柔らかい人でない限り、これほど体を曲げさせられればそれだけで痛みを感じることにはなるでしょう。
しかし、それだけでは自白を強要できるほどの苦痛にはならないと思われます。
これに限らず、江戸時代の拷問は自白すればそのまま処刑される囚人にしか行われません。つまり、囚人は自白すればそのまま処刑されることが分かっている訳です。
しかも、箒尻や石抱きでも自白をしていない囚人ですよ。
そんな人間が、体を曲げさせられた程度の苦痛で自白をするとは考えにくいと思ってしまいます。

実際、この拷問の厳しさは体を曲げさせられることではなく、その状態を継続させられるところにあります。
この拷問は1刻(約2時間)続くのですが、最初の30分で囚人の体はうっ血により真っ赤になります。さらに脂汗が吹き出します。
このときの赤くなる様子が茹でられた海老のようだというところから、海老責めと言われているという説もあるようですね。
さらに1時間も経過すると、うっ血が進行して全身は青黒く変色します。呼吸も不規則になり、意識が混濁し、そのまま続けると命の危険すら起こると言います。
この拷問では囚人に命の危険があるため、医師が立ち会います。
拷問が終わった後、気絶した囚人には薬と水を与えて気付けをしてから牢に戻します。

あまり苦痛にならない?

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この拷問についての解説を読んでみると、どれを見ても耐えられる人はほとんどいないと書かれています。

斯くまで堪ふる者はいとまれなり

 ―佐久間長敬 『拷問実記』

ですが、私には正直そんな感じがしないんですよね。
確かに、2時間も同じ姿勢をとり続けさせられるというのは苦痛だと思います。
しかし、直接的に苦痛を与える箒尻や石抱きと比べると、その苦痛は見劣りするように感じます。
とはいえ、実際に拷問として使われていたということは、確かに効果があったことを意味します。
そこで思ったのが、この拷問では物理的な苦痛というより、精神的な苦痛を与える仕組みがあったのではないだろうか? ということです。

考えてみれば、この時代の拷問には時間制限がありません。
つまり、やろうと思えば何年も拷問をし続けることが出来るということです。
このような環境では、1度の拷問で与えられる苦痛の大きさは重要ではないのかもしれません。
さほど苦しくない拷問とはいえ、それが長期間続くとなれば肉体はともかく精神的にはかなり大きな苦痛になることが想像できます。
つまり、海老責めの苦痛というのは、肉体的な物もありますが、その本質は精神的な物なのではないか。
この拷問を調べていると、そのように感じました。

考案者、中山直守

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この拷問の考案者は、天和の頃の火付盗賊改方頭だった中山直守です。中山勘解由や鬼勘解由というあだ名のほうが有名かもしれません。ちなみに、勘解由とは役職の名前です。

江戸の町といえば、木造家屋が数多く建てられた地域です。その為、火事になると多くの家々に延焼し、かなり危険なことになるというのはよく聞く話です。
その為、当時の放火は凶悪犯罪であり、重罪でした。(現代でもそうですが)
そんなわけで、放火を取り締まる火付盗賊改方はそれ自体がかなり厳しい集団となるのはなんとなくわかると思います。
現代の警察で言う所の「マル暴」みたいなイメージでしょうか。(あくまでイメージです)
中山直守は、そんな集団のトップである火付盗賊改方頭だったんです。
あだ名に“鬼”という言葉が付くことから分かる通り、かなり厳しい人物だったそうですね。
実際、拷問を考案するくらいだから並大抵の人物ではなかったことでしょう。

彼がこの拷問を考案したのは、鶉権兵衛(うずらごんべえ)と呼ばれる盗賊を拷問するためだと言われています。
この囚人は海老責めにより自白し、それが理由で処刑されました。