拷問コラムが滞っているという話

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世の中の風潮として、やらずに後悔するよりはやって後悔したほうが良いというのがあります。

これ自体は、私も正しいと思っています。行動するということには、それだけで十分に価値がありますから。

ただし、やらずに後悔するよりマシとはいっても、後悔することに変わりはないというのは、これもまた事実だと思います。

何が言いたいのかということ、拷問コラムの記事が欠けなさ過ぎて不味いと思っているという話です。

 

この図書館(サイト)を作った当初から、コラム自体は書くという構想はありました。絶対に書きたいと思っていたものなので、始めたことに後悔はありません。

ただ、今になって思うのが、もっと知識を蓄えてから始めるべきだったなということです。

ネタが無いわけではありません。むしろ、記事にして伝えたい情報はいくらでもあります。ただ、その伝えたい情報が多すぎるというのが問題で、調べれば調べるほど、新たに知るべき知識が増えて行って追いつかないんですよね。1つの物事に対する全体が見えないといいますか。細部まで理解しきるにはより多くの情報が必要になると言いますか。

例えば、異端審問で拷問が行われたのは間違いない事実ですが、ではどの時代、どの国で、どの拷問具が使われたのかとか、拷問の手順は具体的にどのようなものだったのかとか、後期になると拷問の手続きが簡略化されるのですが、その簡略化は具体的にどんなふうに行われたのかとか、などなど。

ここに挙げた例はほんの一部で、実際にはもっともっと知らなければならない事が大量にあります。そして、それらを全て理解しなければコラムが欠けません。なので、コラム執筆はまだまだ先の話になりそうです。

せっかくなら、情報の詰まった良い記事が書きたいですからね。

そのかわりと言っては何ですが、このブログでお茶を濁したい所存です。